卒業生からのメッセージ
<GOLDWIN>パタンナー
【文化服装学院公式サイト卒業生取材「LINKS」より転載】
アパレル技術科 2018年卒業
蛭田 翼さん
■ 得意なのはスポーツウェア!機能美を追う若きパタンナー
蛭田さんが勤めるゴールドウイン(GOLDWIN)は、海外ブランドからオリジナルまで多数展開する日本を代表するスポーツ系カンパニー。
ラインナップのなかでもっとも売上規模が大きいブランドが「ザ・ノース・フェイス」である。アメリカ発祥ながら日本で独自に企画・製造したことで大ブレイクした。アウトドアシーンだけでなく、タウンでもファッション性の高さから愛用する人が多いトップブランドだ。
蛭田さんはこのザ・ノース・フェイスを担当するパタンナーのひとり。
ここに掲載した2着は、2022年春夏シーズンに彼がパターンを手掛けたコレクションの一部である。
「ショートスリーブウォールズシャツ」は、この名で画像検索すると多数の写真が表示される人気アイテム。自身が手掛けた服がAmazon、ZOZO、楽天などで売られ、たくさんの人に着られていることについて蛭田さんいわく、「不思議な気分です」。大手スポーツブランドの服は、生産数が一般のファッションブランドとはケタ違いに多い。コロナ禍で勢いが増したアウトドアブームの後押しもあり、ますますの成長が予測されるジャンルでもある。
■ 東京のオフィスでのパターンワーク
ゴールドウインは創業地である富山県に会社がある。社員のパタンナーたちの大半が働くのも富山である。蛭田さんが現在通うのは、マンションを活用した小規模な東京オフィス。東京本社の近辺にあるパタンナー専用のオフィスで、働くのは7名(2022年8月現在)のパタンナーたちだ。
(富山オフィスについては記事の後半にて)
オフィスにはミシン、製図台、パターン印刷用大型プリンターなどの基本的な設備が置かれている。設備は一般のファッションブランドと変わらない。蛭田さんの作業工程もベーシックな服づくりである。
「トルソーに型紙用シーチング布を取り付け、立体的にパターンを組んでいきます。それを平面に写し取り、裁断するパーツにしていきます。スポーツウエアでもプロセス自体は特別なものではありません。ただし動きやすさや特殊な素材の性質などを計算した工夫は必要になります」
ハイテクなスポーツウエアの服づくりは機械化されたイメージを持つ人も多いだろう。
実際には昔ながらのアナログな作業で、商品を縫うのも人の手によるもの。体が自由に動いて美しい服を仕立てるのには人の力が欠かせない。
蛭田さんが大手ブランドならではのパターンの秘訣を明かしてくれた。
「まず、縫いやすさを重視しています。ザ・ノース・フェイスは量産の数がすごく多く、世界各国のどこで誰によって縫われるのかわかりません。工場や縫う人によって品質がバラついて不良在庫が出ては困りますから、縫いやすいパターンであることが大切なんです。あと、既製服であることも強く意識しますね。実際に誰が着るのかも不明ですから、着方を制約せず耐久性のある服に仕上げないと」
世界に一点だけのオートクチュールと大量生産のスポーツウエアとでは、理想とする服づくりに大きな違いがある。スポーツウエアは年齢や体型を問わないユニバーサルデザインの発想も欠かせない。体を守り行動をサポートする衣服の根源的な役割と日々向き合うのがスポーツウエアのパタンナーだ。
■ ゴールドウインのパターン拠点は富山に
富山県にあるゴールドウインには、縫製施設や研究ラボもある。
多くのパタンナーが働く規模の大きな富山と比べ、東京オフィスはマンションの複数の部屋を活用した、いわば分室。蛭田さんは現在このオフィスに通っている。
「富山で働いた期間を経て、いまは東京にいます。富山は特殊加工ができる工場設備、試験機能を備えています。こうした加工が必要なアイテムのパターンは、熟知した人材が多い富山で行われます。パタンナー、規格書製作者、仕様書担当と分業されているのも富山の特徴です。対する東京での仕事の仕方は、ファーストパターンから製品(量産品)の検品までパタンナーが手掛けています。アイテムやカテゴリーも分かれておらず、幅広い知識が求められます」
ファッションの情報量が多い東京のほうが仕事に有利かと思いきや、そうとも言えないようだ。
「実はモノづくりにおいて、理想的な現場は富山だと思うんです。隣に縫製スペースがあるからすぐサンプルをつくれて調整できます。機能性を追う服には都合のいい環境なのです」
「一方で東京は、デザイナーとコミュニケートしやすいメリットがあります。デザイナーは東京にいるので、彼らとのやり取りが蜜にできます。製品を一貫して手掛ける東京では、デザイン的なニュアンスを汲み取ってパターンを制作する製品のような、デザイナーとのコミュニケーションが多く必要になるアイテムが会社から振り分けられるのです」
社員が働く地域を決めるのは会社が行なうのが社会の通例で、ゴールドウインも例外ではない。
蛭田さんも富山で働き続けると思っていたが、人事異動で東京に転属されたそうだ。社員の資質を見極める会社の方針に柔軟に対応するのが、会社勤めに必要な心構えである。
■ 憧れたパタンナーと働きたくてゴールドウインに
最初はデザイナーになろうとして文化服装学院に入学したものの、途中からパタンナー志望に方向転換した蛭田さん。
「優れた感性を持つクラスメートたちを見て自分がやれることでないと考えたのが大きな理由です。服の構造にはとても興味があったので、パタンナーを目指すことに」
それでも経験が乏しく服の完成形を思い描くのが難しいなかで、平面裁断を学ぶのはたいへんだったそうだ。
その一方で気持ちが惹かれたのは、トルソーに布を巻き付ける立体裁断(ドレーピング)。パーツの構造が目に見えて納得できた服づくりだった。
「既製服を学びたかったから、そうでないパターンの授業に親しむのが難しかったですね。そんなとき、当時ザ・ノース・フェイスのチーフパタンナーだった玉置浩一さんの仕事を知りました。機能性や運動量を計算した独自のつくりかたにすごく共感できて。そこでこの人の下で働きたいと願ってゴールドウインに入社しました。配属先も念願のザ・ノース・フェイスでした」
現在はゴールドウインを離れた玉置さんと過ごせた日数はわずか半年ほどだったが、実り多き時間だったようだ。
現在は学んだ経験を活かしつつ、日々独自にパターンと向き合っている。
「ザ・ノース・フェイスはは自由に物づくりができる環境で、そのときどきでより良いものがつくれるように試行錯誤しています。僕はデザイナーはパターンをよく知らなくていいと考えています。そこに制約されず好きなようにデザインしてもらえばいい。服にするのに無理があるときに、ちゃんと説得することもパタンナーの仕事ですから」
蛭田さんが一緒に仕事するデザイナーのなかには、文化服装学院の基礎科時代に一緒だった江口圭介さんがいる。
同じ会社のなかでパタンナーとデザイナーとが文化つながりで、しかも同級生という嬉しい偶然!
文化服装学院の人脈の広さが、スポーツジャンルにまで広がっていることを示すエピソードだ。
※2022年8月取材。